大昌寺坂、一小方面 1956 <未修整・未展示> 大昌寺坂、一小方面 1956 2008-11 受入 No.0079 大きさ(mm)75×142 撮影年1956-05-13(昭和31年) 撮影場所大昌寺山から一小方面 撮影者志村章氏 所有者志村磨智子氏 情 報 大昌寺坂はいつ頃できたのか。人為的なものなのか。大昌寺山に切通しを作ったときの残土を盛ったものか。江戸時代後期天保14(1843)年の絵図(天野尚家蔵『日野本郷絵図』)にはそれらしき道筋も見えるが詳細は不明。 戦前、当時の有山亮町長により、生活困窮者対象の「救農土木事業」の一環として大昌寺坂の改修が行われた。(『日野市史 近代編』より。) 大昌寺坂は七曲りともいわれた。<溝呂木氏談> 自転車で大昌寺山からこの坂を下ってきて転落したことがある。<青木守氏談> 写真中央に大昌寺坂から降りてきた志村家の姉妹とその友だちが写っている。その少女たちのすぐ前の山下堀に架かる橋が受入№0195に写っている橋。 一小手前の農家は金子家。金子家の左手にプラタナスの木があったという。 写真左(西)から流れてきた山下堀が大昌寺坂手前で左折する付近に石仏もあったという。