情 報 |
- 御野立場の傘松前で撮られた記念写真。右上囲み写真は当時の皇太子、後の昭和天皇が植樹された松。後に「皇太子殿下御手植之松」の記念碑が建立された。
- 立川村が立川町になったのが大正12(1923)年。
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大正10(1921)年11月17日から20日にかけて、および横浜の二都市を含んだ武相地域(現在の埼玉、東京、神奈川の大部分)を中心に行われた陸軍特別大演習の際に、当時の皇太子、後の昭和天皇が演習の様子を総監した地に傘松御野立場(現矢の山公園)として石碑を建てこれを記念した。<受入№1151>参照。
- これについては、平成30(2018)年6月に市内在住の横川氏から提供いただいた『大正十年陸軍特別大演習東京府記録』(東京府 大正14(1925)年6月発行)<都立中央図書館所蔵>に、複数枚の写真入りで詳細に記録されている。
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上記資料に、御野立所について、「御場所予定地ニ樹齢三百年ニ余る老松アリ。傘松ト称ス」という一文がある。とするとこの傘松は江戸時代初頭の生まれということか。傘松の近くには桑の木が見える。現在このあたりは矢の山公園となり、皇太子のお手植えの松(当時のものかは不明)も残る。<受入№0298>参照。御野立場の傘松。
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