情 報 |
- 「昔は田んぼが広がっていて、蛇、モグラ、タヌキなど普通に見ることができました。田んぼには魚やゲンゴロウ、タガメカエルなどが泳いでいました。用水路などには、沼蛭(ひる)がきれいな色で、怪しくひらひらしていました。山下掘で、フナをたくさん網で捕まえていました。何人かの足に、蛭がついていて、塩を付けて離していたように思います。生け簀のように、たくさんフナがいました。小学低学年の私でも、簡単に一網打尽ができました。」(青柳忠穂氏記)
- 「小西六のカメラで、Tesserと書いてありました。おじいさんが購入した高価なもので、フィルムは、小西六がなにかのお祝いで、20枚撮りを無料で配ったものだと思われます。セレン電池の入射光式露出計を使っていました。母親が、フィルムはただだけど、現像料が高いとぼやいていて、カラーのプリントを見たら、綺麗だと大喜びしていたのを覚えています。」(青柳忠穂氏記)
- 写真⑤⑧の左後方に中央線土手に上がるための階段が見える。
- 青柳氏によると1967年の9月(小学3年生)に父親の転勤でニューヨークに渡り、その後、阪神淡路大震災で罹災し1965年以前の写真をすべて失われてしまったそうだ。
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