情 報 |
- 左斜面の下は中央線の鉄道敷(写真外)。戦後暫くまでこの辺り一帯は畑で、農家の人は大昌寺坂・神明坂を登って耕作に通った。民家は、大昌寺坂付近の数軒を除き全くなかった。やがて、新築家屋の姿を見始めるようになったが、殆どはまだ一面の畑のままであった。撮影場所付近から日野駅ホーム南端の踏切(現存せず)までは、陸橋(現国道20号)を除き、鉄道を渡る橋や踏切は全くなかった。左側彼方の建物は別荘と称し、戦後は進駐軍の高官が使用していた所(後にラサール、現マンション)。なお、甲州街道付近の子どもたちは、たまに、連れだってこの辺りまで遊びに来た。冬の夕方になると手製の雀捕獲器(バッサリ)を写真の崖の斜面に仕掛け、翌朝、登校前に朝霜を踏んで現場確認に来た。<戸高要氏記>
- 平成19(2007)5月:左の写真は旧写真の撮影地点からの撮影が困難なため、陸橋の多摩平側から日野駅方向を写したもの。また右の写真は陸橋上から日野駅方向を写したもの。
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