大門橋 昭和40年代か(カラー) 大門橋 昭和40年代か 大門橋銘版 2009-05-14 2017-10-26 2021-10-07 受入 No.0930 大きさ(mm)不明 撮影年昭和40年代か 撮影場所大門橋‐西側 撮影者真野泰久氏 所有者真野泰久氏 情 報 大門橋付近の水道工事中の真野設備工業関係者。左から2人目が佐野房太郎氏。写真は昼の食事中か。後方には小関先生宅、一小校舎が見える。また手前欄干には中央に「大門橋」の銘がかすかに見える。この反対(東)側に「明治四十ニ年十月成」の銘が彫られていたという。 右手の電信柱に高品産婦人科の看板が見える。 昭和54(1979)年頃に裏の川(日野用水)が暗渠となり、その際、取り外された大門橋の御影石は市役所の資材置き場に置かれていた。日野図書館前の「甲州道中日野宿問屋場・高札場跡」の石碑はこの橋の御影石を使った。揮毫は北原の佐藤信雄氏。佐藤氏は元八王子信用金庫(現多摩信用金庫)の理事長だった人で、北原自治会会館の表札も佐藤氏による。<猪鼻洋助氏談> 下の写真は猪鼻氏が大門橋の銘と架橋年「明治四十ニ年十月成」を刻んだ御影石から採った拓本。 写真集『まちかど写真館 in ひの』第二集掲載写真。 昭和54(1979)年頃に旧大門橋西側が暗渠になった裏の川(日野用水)は、今年平成21(2009)年5月に再び開渠されたものの、かつてのような趣のある用水には戻らなかった。